相手のためと思って、気をつかったり、配慮して言ったり、行ったことを、相手も素直に「ありがとう」と言ってくれたり、嬉しそうな態度が伝わってくると、お互い気持ちがいいし、嬉しいものです。
こういう、お互いを思いやる気持ちや行動が、うまく相互にいきかうと、人間関係もスムーズだし、ポジティブな気持ちが蓄積していって、少々嫌なことがあっても、気にせず、良い波にのっていけたりします。
ところが、時に、こちらは善意なのに、相手が不機嫌になったり、文句を言われたり、怒られたりした経験はないでしょうか?
まだ反応してくれるとわかりやすいのですが、相手によっては、ありがとうと受け取ってくれた後、態度がつめたくなったり、本人以外の人から、本人が文句を言っていたという話を後から聞いたりすると、結構、直接反応される以上にダメージを受けるのではないでしょうか。
こういった場合、出会ってまもない関係や、それほど親密ではない社会的関係の中では、相手に「何か失礼なことをしてしまいましたか?」といった質問をして、相手との誤解を解く態度をとりやすいのですが、身近な関係になってくると、相手の気持ちや事情より、自分の善意を優先して反応してしまいがちです。
こうなる原因は、色々な説明がつきます。
個人的なものとしては、生まれ育った家族関係の影響や、大人になってからの経験で身につけたパターン、思い込み、視点の違い、相手への期待、依存心etc、ケースに応じて色々あります。
一方、人間関係の視点からは、お互いの「境界」の問題として理解することが出来ます。
「境界」とは、「どこまでが自分で、どこからが相手なのか」という、自分と相手を区別するラインです。
この境界は、色々なものがありますが、代表的なものは「感情の境界」「身体の境界」「責任の境界」「時間の境界」「持ち物の境界」「お金の境界」「性的な境界」「思考・価値観の境界」「精神的な境界」などがあります。
法律を根拠とした権利と義務は、社会的なルールとしての「境界」の設定でもあります。
これまでの臨床経験から思うのは、善意なのに相手との関係がうまくいかなかったり、嫌がられたり、場合によっては恨まれたりする場合、そのきっかけは、「相手が無断で踏み越えて欲しくない相手の世界に、善意とは言え、無断で入ってしまった時」なのです。
自覚無く相手の境界線を踏み越えてしまうと、相手の個人的な色々なテーマを浮上させてしまったり、相手の反応を受けて、自分の個人的なテーマも浮上してくることがあります。
善意なのに、相手が思わぬ反応をした時は、身近な関係でも「何か気づかないうちに嫌な思いをさせた?」等の問いかけをして、嫌な思いをさせたことは謝って、ただ悪意はなく善意だったことはちゃんと伝えましょう。
これだけで、随分違ってきますし、この作業をすることで、「お互いの健康的な境界線」がどこにあるのか明確になり、その後の関係が楽になっていきます。
親しくなっていくプロセスの中では、お互い育った環境も違えば、経験の違いによって受けとめ方も違うのが普通で、その違いによって、境界線もそれぞれ違っているのが自然なのです。
善意で相手を傷つけることは、生きていると必ずあることです。
ですから、善意でも相手を傷つけるのが怖いからという理由で、相手と親しくならないようにするのは違うと思いますので(何か傷つき体験やトラウマ体験がある場合は、それを癒していくサポートを受ける関係に身を置いていくことが大切です)、何かあった時に、関係を修復して、さらに良い関係にしていく前向きな勇気とコミュニケーションのスキルを身につけることが大切です。
もし、善意でも相手の反応がおかしいなと感じたら、まず、何か相手の境界線を踏み越えてしまったかもしれないと振り返ってみると、その後のコミュニケーションが効果的になる確立が高まります。
文責 池内秀行
